舞台は1985年、アイルランドの小さな町。
炭鉱商人として生計を立て、家族と慎ましく暮らすビル・ファーロング(キリアン・マーフィー)は、
クリスマスが近づくある日、石炭を届けに訪れた地元の修道院で、目を背けたくなる現実を目撃する。
そこに身を置く少女から「ここから出してほしい」と懇願され、
若い女性たちが行き場もなく苦しんでいる現実と向き合うことに。
見て見ぬふりをすることが賢明だと理解しながらも、良心の呵責に悩むビル。
そんな彼が、ついに下す決断とは――。


第96回アカデミー賞®主演男優賞に輝いた『オッペンハイマー』(23)の後、 キリアン・マーフィーが次なる挑戦として選んだ意欲作。『コット、はじまりの夏』(22)の原作者として知られ、現代アイルランドを代表する作家クレア・キーガンの世界的ベストセラー小説「ほんのささやかなこと」が原作。マーフィーがこの小説にほれ込み、映画化を希望。『オッペンハイマー』撮影中にマット・デイモンに企画を持ち掛け、ベン・アフレックも加わり実現した。マーフィーは本作で初めてプロデューサーとしても名を連ね、キャスティングにも参加。
本作は、アイルランドに実在した“マグダレン洗濯所”の人権問題を背景に描かれる人間ドラマ。社会が長く黙認してきた現実を前に、「知ってしまった個人はどう振る舞うのか」を静かに問いかける。言葉を抑え、沈黙と内面の葛藤を徹底的に演じ切るマーフィーの姿が、深い余韻を残す一作。
2024年の第74回ベルリン国際映画祭において、シスター・メアリーを演じたエミリー・ワトソンが見事に銀熊賞(最優秀助演賞)を受賞した。









キリアン・マーフィーの表情や仕草が、ガタガタ揺れるくたびれたトラックや悲しげな風景が、だから映画を形作るすべての要素が、あのクレア・キーガンの素晴らしい小説の言葉の余韻と余白をさらに豊かにし、私たちのなかにある「人間」に強く働きかける——
虐げられた者たちを前にして、無力さの闇に沈みそうになる私たちの心に希望と勇気の灯をともしてくれる。
静謐な原作よりもなお寡黙な映画で、抑制されたキリアン・マーフィの演技がすばらしい。ほとんど人間離れして神聖な領域に近づいている。
最後は原作よりほんの少し先まで描かれていて、ビルの決意が実行されることが伝わり、しみじみと感じ入った。
世間に流されずに正しいと思うことをするのはとても大変ですが、そこで行動に出なければ、後で良心の痛みに悩むことになるかもしれません。自分も人の優しさに助けられて生きていたのに、今の社会的地位や安全を優先し、同じような状況で苦しんでいる人を無視することができるでしょうか?この作品はそんな状況でほんの少しだけ勇気を出すのがいかに大事かということを、キリアン・マーフィーの繊細な演技を通して描いています。
原作のすばらしさを損なうことなく創り上げられたこの映画に、心からの拍手を送りたい。
ひとりの人間にはひとり分の力しかない。そのことを非力だと嘆くひともいるだろう。
しかし、その力がときに、誰かを、何かを、変えることがある。
小さな力がもたらす大きなうねり。それを目撃したあなたの人生もまた、うねりはじめるかもしれない。
アイルランドの小さな町に聖夜が近づく。降りしきる雪。間違ったクリスマスプレゼント。娘たちのクリスマスキャロル。つましい人々のささやかな幸福の陰にある不気味な闇が、キリアン・マーフィーのブルーの瞳に吸い込まれていく。
説明を省いた静かな映像なのに、張り詰めた緊張感が目を逸らさせない。ラストシーンのその先を、考えずにはいられない映画だ。
Do the right thing -
やるべきことをするかどうか、誰でも葛藤する時があります。自分や肉親が犠牲を強いられる可能性があると尚更難しい決断です。終始抑制されたビルの感情がひしひしと伝わる感動作です。
あらゆるノイズが削ぎ落とされた傑作。そのことは主演するキリアン・マーフィーが〈寡黙さ〉をもって体現しているが、しかし彼の口はしばしば開きっぱなしになっている。沈黙という名の豊饒な言葉を吐き出しているのだ。そして映画全篇を自身の〈動揺〉で震わせる。むしろ、この作品は「静けさの牢獄」と言えるのではないか。だからこそ、なのだが、その静けさに割って入るサウンドが、あるいは、ほんのささやかに乗せられる音響群が、そこに存在するだけで回想シーンを召喚する。
つまり、主人公も鑑賞するわたしたちも、現在と過去とを音によって往き来する。しかも舞台となるアイルランドは教会の〈鐘の音〉でつつまれている。最終的にあなたは思うだろう、「わたしたちは鐘の音に空爆されている」と。
誰かを助けることが"罪"なのか
見て見ぬふりをすることが"常識"なのか
重苦しいアイルランドの冬の中で浮かび上がる"良心"の意味
巨大な権力の前に我々は無力でしかない、目の前の誰かを助けたところで自己満足でしかない――。
この映画は静かな語り口で、そんな絶望を洗い流し、我々の行手に火を灯す。ラスト間際のある場面は、革命の行進のようだった。本作が今の日本公開されることに、大きな意味がある。