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順不同
役所広司
(俳優)
かつて映画監督を夢見た画家、
アンゼルム・キーファーの強烈な作品の世界を、
かつて画家を夢見た映画監督ヴィム・ヴェンダースが映画で表現する。
二人の芸術家によって、
人間が忘れてはならない記憶を掘り起こす。
田中泯
(ダンサー・俳優)
「見て、感じて、思った」
こころは細胞となってカラダを突き動かす。誰しもがだ。
一生の運動一生の表現。誰しもが完全な個人として世界に現れる。
その時の世界という環境を刻印されて生命を始める。誰しもがだ。
一九四五年、アンゼルム・キーファーとヴィム・ヴェンダースは
戦後0年の荒れ果てた国ドイツに生まれた。
この情報だけで、こころ動かす幾多の基調低音が聞こえてくる。
キーファーさんの夢想が好きだ。
思想と称ぶ人が多いが、何が違う。
ヴェンダース監督は、広島・長崎の原爆投下のニュースが世界を席捲した
その時に生まれた。
映画の中でB29の低音が聴こえたのは僕だけだったのか?
アンゼルムの創造物は常に傷ついた物と事に満ちている。
日本の戦後0年に生まれた僕のこころの奥底にもムカムカはある。
子供の頃からずっとだ。
アンゼルム・キーファーとは、年齢から追放された記憶の創造者の事だ。
中谷美紀
(俳優)
知恵と身体を用いて瓦礫や廃墟を創造することで、
誰もが口をつぐむ自国の恥ずべき歴史を掘り起こし、
物言わずして、私たちに強烈な揺さぶりをかける、異端者アンゼルム・キーファー。
美醜も正邪も、善悪も、賢愚も、真偽も内包した、
不協和音のような作品の数々が、焼けただれ、粉塵にまみれたその作品群こそが、
とてつもなく美しく残酷、かつアクチュアルで、
世界中のどこで展示されていても、思わず立ち止まって見入ってしまう。
キアロスクーロ的陰影と共にキーファーの自然な佇まいと、
作品からほとばしるエネルギーを捉え、
鑑賞者の面前に厳かに鏡を据えて内省へと導く
ヴィム・ヴェンダース監督には、もはやぐうの音も出ない。
村上隆
(現代美術作家)
僕が現代美術に憧れた作品を作っていた、キーファーさん。
現代美術の世界では珍しい立ち位置で、
メランコリーな記憶を巨大な作品にして制作するスタイルは
もう40年以上続いているようだ。
日本では数回大きな個展が行われたが、
近況は報告されてこなかったので、嬉しい映像作品である。
年老いても尚、巨大な画面に向かって制作し続けている姿勢に、
勇気をもらえる。
会田誠
(美術家)
少しは知っていたけれど、
キーファーの作品は想像していた以上にデカい。
時々スケール感が狂って笑ってしまうくらいに。
「どう考えても運搬は不可能でしょ!」というものも多く、
キーファーの全貌を知るためためには、
この「現地」に行くしかなさそう。
そんな世界中の多くの人々のために、
ヴェンダースがこの映画を作ってくれたことはよくわかりました。
さすがの撮影、さすがの編集。
「現地」に行く次善策。全美術ファン、美大生必見でしょう。
五十嵐太郎
(建築評論家)
キーファーの絵画に遭遇すると、
知らない記憶が呼び起こされるとともに、物質的な存在感に圧倒される。
キャンバスを叩き、ひっかき、燃やし、鉛を垂らす。
映画では、そのアクションに息をのむ。
どのような環境で、巨大な作品群は制作されるのか?
建築スケールのプロジェクトに至っては簡単に巡回できない。
空間を巻き込む彼の作品は、
映画館の大きなスクリーンで鑑賞するのにもふさわしいことに気づかされた。
山口つばさ
(漫画家)
キーファー氏の作品はとても大きいですが、
この映画を観た後、彼にとってキャンバスはあまりにも小さすぎると気付かされます。
アーティストのドキュメンタリー映画ですが、
絵を描く人も描かない人もきっと圧倒されます。
この「傷ついた世界」で生きる人たちに見てほしい映画だと思いました。
和田彩花
(アイドル)
歴史の痛みをどう個人が引き受けられるだろうか?
溶けた鉛を垂らし、炎で焦げさせていく絵画の制作過程と、
象徴的なポーズで写真に写るキーファーの姿から、
答えになりそうなものを考えたい。
橋爪勇介
(ウェブ版「美術手帖」編集長)
本作はキーファーを“説明する”映画ではない。
“傷ついた世界”を直視しようとする作家の
思考の一端に触れることができる貴重な機会だ。
保坂健二朗
(滋賀県立美術館ディレクター)
神話と歴史、あるいは神話と芸術の間で、
危険な綱渡りをしてきたアンゼルム・キーファー。
その原動力でもあった彼のオブセッションは、
作品の巨大化と重量化を推し進めもし、
もはや南仏に彼がつくったサイトにいかなければ
その全体像を捉えるのは不可能になってしまっていた。
だからこうも言えるだろう。
ヴェンダースは、不可能を可能にするべくこの映画をつくってくれたのだと。
キーファーを知らずして戦後の表現を語ることができない以上、
これを見ることは、今ここを生きる者の責務である。
青野尚子
(アートライター)
ともに終戦の年に生まれた二人。
キーファー個人の時間を行きつ戻りつしながら
彼がどのように歴史と向き合ってきたのかが綴られる。
容易に辿り着くことのできないキーファー作品の重さ、
幾重にも積み重ねられた闇の奥にあるものが見えてくる。
ヴィヴィアン佐藤
(美術家/ドラァグクイーン)
劇中キーファーが、巨人に見えたり小人に見えたりした。
その両方を行き来する引き裂かれた身体は、
戦後ドイツと彼自身の歴史の裂け目にしか生きていけないことを証明している。
長澤均
(服装史家/デザイナー)
キーファーの全ての作品は美術史上かつてなかったほどに重量がある。
その重量となっているのが、
絵の中に堆積された歴史時間と神話空間である。
渋谷哲也
(日本大学教授/ドイツ映画研究)
ヴェンダースが自ら分身のように寄り添うアンゼルム。
彼らは戦後ドイツの歴史の天使として
過去の廃墟にまなざしを向けながら未来の光芒に向かって流されてゆく。
ヴェンダース映画が有する限りないポジティヴさの本質を示す必見の作品だ。